【No.310】いつから金利はある…低金利の長期化は経済低迷の原因…金利のある生活始まる
2024.7.31
金利の起源は、それはお金がいつからあるという問いと等しいので、なかなか特定は難しい。しかしメソポタミア文明では、大麦や銀などの取引で、貸し借りの利子も存在していたとされる。紀元前18世紀のハムラビ法典には利子率の決まりがあって、大麦の場合は33%、銀は20%と設定されていた。また利子は日本でも古くからあり、8世紀以降の律令時代に、種もみを春に貸し出して秋に利子を付けて返す「出挙(すいこ)」が行われていた。宗教上イスラム教は金利を禁止している。またキリスト教徒も旧約聖書では異教徒から利子をとることを許すが同胞からは禁止していた。両派から異教徒として少数派のユダヤ教徒が金融業を担うようになった。また17世紀末には英国で現代につながる国債が誕生した。現代では貨幣を独占的に発行している中央銀行が金利をコントロールすることができる。中銀は目に見えない自然利子率にインフレ率を加味した「中立金利」を意識しながら政策金利を上下させている。
日本経済の長期低迷の原因の一つは、バブル崩落への遅れ、つまり不良債権処理の長期化だ。右肩上がりの土地神話で不動産を担保に融資を増やしていた銀行は巨額の不良債権を抱え込んだ。銀行をつぶしてパニックになるのを恐れ、不良債権処理は少しずつゆっくり進めることになったが、不良債権がどこにどれだけあるか判明しないため、銀行や企業の危険度が分からず、人々は疑心暗鬼に陥った。コロナ禍で検査拡大を慎重にし過ぎて国民の不安を増幅した政策当局の判断と似ている。
日本と同時期にバブルが崩落したスウェーデンのように、不良債権処理を迅速に進めていれば、94年~95年ごろには終了していただろう。不良債権処理に15年も費やしたことで、成長につながる前向きな人材が育たないなど悪循環が発生し、その後15年も後遺症に悩まされた。日本の長期停滞の素地を作ったのが不良債権をめぐる政府の対応だったと言える。日本は景気低迷から脱しようと財政出動と金融緩和を続けたが、不良債権という根本問題に対処しなかったため成長基調に戻すことは出来なかった。日本銀行は金利を引き下げ、短期金利は95年秋実質ゼロとなった。更に金融緩和に向けて2001年3月施策を金利から貨幣量に切り替え、量的緩和政策を世界に先駆けて導入した。16年にはマイナス金利政策、同年9月にはイールドカーブコントロールを導入した。短期金利はゼロからマイナスに、長期金利も0%程度に誘導したにもかかわらず、インフレ率は1%程度の低インフレ時代が続き異次元緩和も効果が出せなかった。
日銀は3月にマイナス金利解除と短期金利誘導目標を引き上げて、いままでの金融政策正常化のステップへ更に踏み出した。6月14日の金融政策決定会議で国債買い入れ額を現在の6兆円程度か減額していく方針も決定し、7月の決定会合で利上げと国債買い取り減額を同時決定することも示唆した。
日銀は31日の金融政策決定会合、賃金上昇などで物価と景気見通しが尚上向き基調にあると判断し、0~1%としていた政策金利を0.25%に引き上げると決めた。国債の買い入れ額も月6兆円程度から2026年1~3月に月3兆円程度にまで半減させる計画も発表した。日本経済は「金利ある世界」に本格的に回帰していく。3月にマイナス金利政策を解除したが、短期金利は0~0・1%という極めて低い水準にあった。5%台の政策金利を続ける米国との金利差が円売りに拍車をかけた。既に輸入物価が上昇に転じており、2%を超えるインフレがかなり長く続いている。2%から更に上に行くリスクもあるとして年内に追加利上げの可能性があり、次は0.5%の利上げになる可能性がある。金利のある世界は収益力の弱い企業に市場から退出を迫ることにつながる。しかし一方で企業の生産性向上を促し、成長力高める要因にもなる。
岸田首相は日銀の追加利上げの決定を受け「新しい成長型経済ステージの移行は兆しが明確なっている」との認識を示した。「貸出金利上昇の影響は無視できないが、1000兆円規模といわれる国民の預貯金の金利増というプラス効果もある」と強調した。企業・個人は「金利ある世界」の効果をどう生かすかだ。